『闇金ウシジマくん』は2004年より小学館『ビッグコミックスピリッツ』で連載されている真鍋昌平作の人気コミックです。
2010年には山田孝之主演でテレビドラマ化され、2012年より4度にわたり映画化される人気シリーズに成長しています。短髪にトンボ眼鏡といった主人公への山田のなりきりぶりも話題になりました。
主人公の丑嶋は、借金に追いつめられた人々に10日で5割の法外な利息で金を貸す『カウカウファイナンス』の経営者。いわゆる闇金業者です。
借金に追われ、助けを求めてやってくる多重債務者たち。丑嶋は彼らを射抜くようなするどい視線で見つめます。まるで相手の人間性や返済能力を査定するように。カネに翻弄される人々を大勢見てきた彼の顔は、どこか達観しているように無表情です。
物語では丑嶋はどちらかといえば狂言まわし的な役割で、実質的にストーリーの中心になるのは債務者となった人々です。
映画の第1作ではイベントプロデューサー志望の若者(林遣都)、パート2では店のトップをめざすホスト(窪田正孝)などが登場します。
彼らは身の程知らずな夢や欲望のため闇金に手を出しますが、イージーに手に入った金はしだいに膨れ上がり、彼らを押しつぶしにかかります。
映画は複数のエピソードが同時進行し、ときに密接にからみあいながら進みます。債務者どうしが返済を逃れるために手を組んだり、逆に裏切りあい、対立や争いを繰り返します。
彼らの熾烈なサバイバルゲームを観ながら、その愚かしさを笑えない自分がいます。多重債務者たちの意志の弱さ、自分への甘さ、ずるがしこさや依存心はそのまま自分の中にもあるからです。
債務者たちに一切同情せず、搾れるところまで搾りきる丑嶋たち。債権の回収にあたって肉体的な暴力はもちろん、パンツ一枚で土下座させるなど精神的な暴力で人としての尊厳までも奪い去ります。狂気に満ちた取り立てが、借りた側もまた狂気に向かわせます。
すさまじい暴力描写は、見かたによってはギャグと紙一重です。「かわいいもの尻取りにおけるハバネロ一気飲みの罰ゲーム」のように暴力が遊びやゲーム化しています。現実に社会問題となっている学校や職場のいじめにも通じるのではないでしょうか。
闇金に脅される側もまた、一方的な被害者ではなく身勝手で独善的です。丑嶋たちを手玉にとって借金の踏み倒しを目論んだり、警察に密告、逮捕させようとします。貸した金を正当に(?)返済することだけを要求する丑嶋たちのほうがよほどフェアに感じられるくらいです。
世間的には非合法な丑嶋たちがむしろまっとうな論理のもとに動いていて、借金に追われ良心が麻痺した債務者のほうがモラルを逸脱してしまっている、そんな逆転現象もみられます。闇金業者よりも人間性を喪失しかけた債務者たちのほうにずっと恐ろしさを感じます。
丑嶋もまた闇の世界から資金の融資を受けて会社をまわしている身であり、自分より金を持つ人間には頭が上がりません。
まさに弱肉強食、もっとも金を持っている者を頂点に食物連鎖にも似たヒエラルキーができているのです。
金銭欲と暴力に満ちあふれた『闇金ウシジマくん』シリーズですが、反面、まっとうにお金を稼ぐことの大切さもさりげなく描きます。
落ちている五円玉を拾うよう債務者に命じ、ためらう相手に丑嶋が「拾わなきゃ人生やり直せない」と告げるシーンや、顔を破壊されたホストが地道な職につき、亡き母を思い出して涙する場面などにわずかな救いを感じます。
この映画を観ている自分たちもまた、ギリギリのところで生きているといっていいかもしれません。映画の中の追いつめられた債務者たちと紙一重なのだという意識があれば、この作品に描かれた世界は急に現実味を帯び、身につまされたものに変わります。
さて、あなたはこの映画を観てどう感じるでしょう。現実離れした荒唐無稽なストーリーだと笑うことができるなら、しあわせなのかもしれません。
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ギャグと紙一重の狂気 映画に見る社会
闇金ウシジマくんシリーズ 話題の映画から現代社会をウォッチング
written by 塩こーじ
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